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校正は開設の1996年から一切変わっていません。また、変えません。写真の上にマウスポインターを置くと、その写真用のコメントが出てきます!
1991年12月、父がparcoの抽選で見事
クリスマス賞
が当たり........ それが全ての始まりだった・・・
親父の当たったクリスマス賞とは海外旅行のツアーであった。親父は海外に全く興味が無い。親族にしか権利を譲れないという事で、 妹は未だ高校生だったし、日産○ェリーというカーディーラーの会社で営業職に就業していた俺だけが行ける該当者 ということで、海外に行ってみたいという気持ちがあったし立候補。無理矢理一週間休みを取ることに決めた。これで後に転勤辞令を受ける事になる。 (って言うか、クビ)
当選の案内を見ると、どうやらコースは数種類あり選ぶ事ができる。 第三希望まで選ぶ事が出来たんで、
・第一希望に、 パリのコース ・第二希望に、 パリ・ ロンドンのコース ・第三希望に、イタリア ・ドイツ のコース |
と、確かこの様に書いたと思う。この様に希望地を申し込み書に記入して 郵送してから約一週間後ぐらいにParcoからTELがあり、
「もうニューヨークしか残ってません。申し…《中略》…。」
もしかして元々ニューヨークしかないんじゃねーか?おいおい、選択の余地無いじゃねぇかぁあああ!!
こうして、かな君は海外旅行へ初めて行く事になりました。
この当選したツアー旅行は、今考えて見ると、相当リッチな旅だったッ。
当時はまだバブル経済で景気が超良かった事もあり、旅では 金を使うものだ! と思っていた事と、それからドル札がどうもお金ではなく ニューヨーク商品券 にしか見えないという事もあり使いまくって、夜は夜で ホテルの前に居たホームレスを募金と間違えて 、その日々の余った小銭(多い日で40ドルぐらい!)を全部入れたし・・・ 貧乏とは程遠い旅行だった。 なんと、一週間で15万も使った。(含む盗難されたバックと財布 価値五万円分) 後は次ページでニューヨーク を選んでね! (小さいページになってます。)
転勤後○ェリーを辞めて、未だ若かったし自由という点で少し憧れていたフリーターになった俺には何も目標がなかった。 日々バイトしては遊ぶ毎日。そこで海外に行ってみよっかなぁ?と、特に意味も無く考え始め、どうせ行くのなら周りから評判の良いオーストラリアへ向かう事にしようと決意し、更に性格が曲がっているもんで、他の人とは内容を違くしたい と言うことでバイクで走ることを決意し、とりあえず遊ぶのを止め 昼も夜も只管バイトして一生懸命貯金!合計80万円程に達した頃、93年1月 シドニーへ。 後の話は、次ページのオーストラリアで
SUZUKI GSX450Sでーす
(オーストラリア ノーザンテリトリ―のどっか)
「 知らない所へ行くのって、なんて楽しいんだ!」
と、オーストラリアバイク一周旅行に行ってから、手遅れ状態になってしまったかなくんは、オーストラリアから日本に帰る途中の機内で 次は世界一周へ行くぞお! と既に考えてしまい、元々冒険が大好きだったので、世界一周とは究極の冒険旅行でもあり… もう誰も私を止められません。帰国後、今度はそちらの為に再度またまた貯金開始。次は前回より10万円増の90万円位まで頑張って貯金完了。そして1993年 世界一周を東回りで行くため、先ずはサンフランシスコ へ出発。アメリカも単車で一周する為に(旅先で大破し、途中からバスとなる)、SFで単車を買った。後は 次ページの世界一周にて。ここが一番お薦めでーす!なんつっても最高!!
YAMAHAXJ650
何故か防風ウィンドウが付いてた。(アメリカ)
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注)ニューヨークで、こういう時間に地下鉄に乗るのは危険です!!(1993年当時) この2週間後、この辺で同じ時間帯に地下鉄でアジア人経営者に解雇され恨みを持った黒人がアジア人だけを狙って銃を乱射する事件があったよ。だからN.Y.は好きさ!(日記読んでね) |
世界のどっかで俺と出会って、無事に日本に帰って来れた人は特にメールくれぇ!!
人の方に見ていただきました。
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