エアーズロック登山途中、日本人のツアーで来てたおばちゃん達に話し掛けられた。ついでに写真撮ってもらった。
この方々に頂上でウーロン茶とようかんもらった。おもしろい感覚じゃった。きっとバスでここまで来て、バスの
中では国内旅行と同じようなシーンが見られたのでしょうねぇ。ウーロン茶飲みながら煎餅バリバリと・・・しかし頂上へ持参しようと考えるとは
凄い発想ですねぇ。おばちゃん達、恐るべし。 ノーザンテリトリーのどっか













このページ、文が多いから興味ある人以外は写真だけサーっと流して見てね!
なお、Mariah Careyの“To be around you”を聞きながら見ると、より作者の意図にマッチします!

オーストラリアを単車で一周しよう!


  何も目標が無かった当時の俺は、特に意味も無くバイクでオーストラリアを一周することにした! 行く前は“海外は安い”、“英語は簡単で誰でも直ぐに覚えられる”という意識があったので 80万円あれば「最低でも2,3ヶ月はオーストラリアにいられるな。バイクに関してはバイク屋で値引き交渉でもしてみよう。」 という甘い考えだった。別にバイク買えなかったら買えないでいいや、などとやや適当。 カンガルー  ミミズ博物館にて。後で文に登場してきます。

航空券を買うのも初めて。格安航空券老舗の新宿HISで購入。(当時は未だマイナーな会社でした。)シンガポール航空でシドニーへ行くと、シンガポールにストップオーバーできると聞き シンガポール航空に決定。帰路で寄る事にした。

さて、初めて海外へ一人で出発となる当日。いざ出発となると少々不安になるものです・・・。そんな状況の中、シドニーに向け出発。

 実際に日本を脱出したと実感したのはシンガポールで飛行機を乗り換えてから。成田出発時、機内はまだ日本人しかいないシチュエーションだったのだが シンガポール発シドニー行きに乗り換えた時、機内は行き成り日本人は俺だけモードになった。で、離陸してから暫らくしてからよっぽど暇だったのか隣の中国系の人に話かけられた。 言語は英語。片言で英語を話すのがいかに大変かをまずここで実感。まともなコミュニケーションとしての英会話は生まれてからこの時が初めてだったのかな。

 そうして、ようやくって感じでシドニーに到着。実に長いフライトだった。本当、やっと という感じ。 空港に着いて入国審査も終えターミナルに出ると、またもや日本人がいっぱい!団体さんが多いので集合しているため 本当に多く感じる。ちょっと安心する反面「俺だけ」と言う優越感状態が薄れたんで、少々がっかりもした。 みんな東京からの直行便で来るみたい。まず最初の試練である空港から市内への移動は、オドオドしながらガイドブックを見て なんとか市内に向かうバスに乗れた。乗ってる間も本当に着くのか不安だったのでしばしば地図を見て自分の位置を確認する。 ガイドブック上の任意の地点に到着したので、下車。どうやら、シドニーの郊外のようだ。何故シドニーの郊外で降りたかと言うと 滞在費を節約するために、安いという噂でガイドブック等に評判のユースホステルに泊まるためで、ガイドブックの地図でユースは 郊外にあるとのこと。それにしてもオペラハウスとかシドニーの象徴みたいな建物が視界にないので本当にシドニーなのかどうか 分からないので、依然不安な状態は続いていた。そのガイドブックにあるユース最寄のバス停を降りたあと、周りのオージーたちに 聞きながらユースを探した。一生懸命オージーに道を尋ねたけど、勿論、片言の英語で。大変、大変。手や身体を使ってのコミュニケーションが主体 、所謂ボディーランゲージって奴ですね。これが意外にも通じるもの。それに目的地が有名な単語「YouthHostel」だから、そればかり言っていたので 「ああ、こいつはユースホステルへ行きたいんだな」と解かってくれたのでしょう。オージー様達の教授により、何とか方角はつかめたので ほんとになんとか辿り着けた、のだが、そこでは今日は空きが無いとのことで、このユースの先にも他の違うユースがあるといわれ そこに向かった。グレーブポイントってなまえだったっけな?実際にそこでは空きがあった。よかったよかったー。そういえばユースホステルですが あらかじめ日本で会員書を作ったんだけど、なんと実は現地でも入れて、しかも一般的にそのほうが安い。もしオーストラリアのこのユースで 会員になれば日本で加入する場合に比べてナント半額だった。

  生まれて初めてユースホテルに泊まった。ドミトリーと言って知らない人同士で部屋をシェアすることで安く泊まる事ができるシステムを 導入している。ドミトリー形式の宿は友達が増えるね。ドミトリーの宿に泊まってみて気付いたのは、日本では知らない人と話す事を恥ずかしがったり して敬遠しがちだが、それはいけない事なんだなと感じた。よく考えれば、そのような人間は物凄く閉鎖的だ。このユースで、部屋の外の廊下や入り口とかで 知らない人同士であたりまえのように話し合っている。滞在中に寝ている時間以外もずっと部屋にいたり同じ国民同士で固まったりしているのは日本人ぐらい。 それがまた物凄く目立つ。コミニュケーションのタイミングというのはいつ起こるか分らず気軽に話さないと逆に不快感を与えるということを学んだ。 例えば、突然「Hi ! Where you from?」とか言われるわけだが、これを無視する訳にはいかない。如何に今まで自分が閉鎖的な人間だったかが分かった。 言語が分からないことは言い訳にならず、分からないなら分からないなりに積極的にコミュニケーションを取ろうとする行動が必要です。 外国人から見て、恥ずかしがって積極的に話をしようとしない所が日本人を暗いイメージにしているのは確実でしょう。フレンドリーシップは大事ですね。 日本もこんな感じでもっとフレンドリーになればいいのになぁ。

 ユースで俺と同じ部屋に泊まっている一人もバイクを買うらしい。大阪からの人でこの人は 卒業旅行に来ていて、短期間しか滞在出来ないのでシドニーからエアーズロックに行ったら直ぐに戻って日本へ帰るらしい。 俺は早速まず単車を探す。オーストラリアは単車が高いので、渋い二発エンジンのSuzukiGS450sというかなり懐かしいやつを買った。 日本では免許の限定性の影響で400ccという単車があるが、海外では250,350,450,750という感じで○50ccの排気量が多い。 しかし、凄い高かった。売るときも高いから安心しろとバイク屋に言われる。(しかし、実際のところ売るときは安かった。) このバイク、ま、いい音してたし、最終的には一応、本当に一応なんとかシドニーへ帰ってこれたので許してやろう。 で、買った後の話ですが、シドニーの日本人街にあるスーパーが設置している伝言板に、買値の三分の二程度の値段でGS450よりも 全然新しく、俺の好きな単車でもあり、そしてGS450より排気量も倍の‘KawasakiNINJA900R売りたし’をみつけた! しかも日本人オーナー。英語の出来なかった私は、この人からバイクの他いろんな情報も手に入れる事ができたわけで、非常に悔しかった・・・。 コアラ 爪のびてるんで、ぬいぐるみにしがませて 抱く

  購入して、早速運転慣らしを兼ねて、フェラデル動物園へツーリングへGO。さっきのバイクを買うという同じ部屋に泊まっている彼は単車を未だ買って いなかったのでバイク好き仲間と言う事で序にタンデムでGO。この動物園はカンガルーが触れないのが痛い。 ま、カンガルーはこれから腐るほど(路上では、本当に腐ってるのもあるけど)見ることになる。

  そういえば、オーストラリアのユースやドミトリィのほとんど全ての場所がバイク駐輪OK。あと、単車でオーストラリアを走る人は、 特に夏の時期は気を付けなければならないのが、タイヤのバーストを防ぐために2時間に1度ぐらい10分程休憩を取らなければならない。 バーストしたら・・・どうなることやら。場合によっては、助ける人が居ないので日陰は全く無いし、死んでしまいます。タイヤを休めるというこの行為、日本人の我々には 中々想像が付かないからね。

  なお、その後、例の彼はオフロードバイクを購入。後で分かったけど、ヨッポドでは無い限りアスファルトが舗装されているので、 砂漠の上みたいな所謂ダートを走る事は、態々求めないと出来ない。少なくとも私は一周したがアスファルトに舗装されていなかった道路は一区間も無かった。

 一周出発前は「一周なんか無理だよな、俺もエアーズロックとか見たら帰ることになるだろう。」と思っていた。 テントなどを買い(実は、キャンピング用品は現地より日本で買ったほうが遥かに安い!)出発。もう一人のオフロード君は俺の出発日前日にエアーズロック へ一足先に出発した。


エアーズロック キャラバンパークにて。風の強いオーストラリアでドーム型じゃないテントは俺ぐらい!

  シドニーを出るとすぐに田舎になる。昼間、走ってると夜行性のせいか何故だかコアラやカンガルー、ウォンバット等が あちこちの道端でたくさん寝ている。それも種類を問わず皆寄添うように仲良く。カンガルーが見たかったし、よ〜し 寝ているところを起こしてびっくりさせてやろう、と休憩するときにカンガルーの寝ている近くに止めた。ぐっすりと 良く寝むっているのか近付いても全くビクともしない。で、近くに行って見ると、なんと体の地面側の部分の約半分が削れて無くなっている! 血だらけだった。実はみんな、事故で轢かれていたらしい・・・ それを求めてかハエがまた(半端じゃない程)一杯いる。 おまけにちょっと臭い! オーストラリア周遊最初の第一休憩所に凄い所を選んでしまった・・・。折角止まったので 我慢してここで休憩。オーストラリアの道沿いにはバタバタとかなり遺体はあるのだ。すごいよ、ホンとに。  余談ですが、オーストラリアはハエが物凄く多い。そこで、ハエネットは オーストラリア旅行で必携アイテム。エアーズロックなど名所でも売っているけど、シドニーなどの大都市で買った方が 半分ぐらいの値段で買える。観光名所へ行く前に買っといた方がいい。

  風の谷。ここだけ見れば、もろナウシカの世界ですね。実際、ここが風の谷のモデルだそうですね。帰国後、知りました。 空気が異常に乾燥している。出発初日、咽喉がカラカラで町についてはコーラを買った。合計8杯飲んでも 咽喉が潤わなかった。脱水症状になって死ぬかと思った。こういう時お勧めなのが炭酸ではなく、オレンジジュースです。ぬるくなってもまぁまぁ 美味しいので、これを強力にお勧めします。 最低でもオーストラリアを一周する1号線上なら500キロメートルに1カ所はガソリンスタンド兼キャラバンパークというテント施設があるので安心。 長い時は、ずっと500キロメートル直進という時もあった。

  すれ違うバイクや車には手を振ってたがバイクは必ず全員、車も殆どの人が振り返してくれる。結構これも旅の楽しみの一つ。醍醐味ですね。 すれ違う車も道は一本しか無いのに少ない・・・ ウェスタンオーストラリア走行では巡航速度100km/hで、ナント500Kmの距離を走って 1日中一台も反対車線ですれ違わない日があった。同方向だって一台も抜かなかったし、抜かれたりもしなかった。本当に誰もいないって感じ!

 で、話は戻り、贅沢なことに半分嫌気がさしながらもアデレード経由でエアーズロックへ。アデレードを過ぎると、風景がそれまでとは違う光景になる。

西部劇系のmt. エヴェネザー こういう山が多い。  結構いいよねこの形。

 アデレードから北にあるウーメラという周りに比べてやや大きめの町で(人口15,6人位かな。)キャラバンパークに泊まる。 そこのオーナーで鼻毛が異様に伸びたオヤジにジンジャービアーというノンアルコールのジュースを教えてもらった。これが凄くうまかった。(後で日本でも入手出来た事があり飲んだが 不味かった。現地で飲むと美味しいジュースなんでしょうね。)寝る間際に大地に寝っ転がり空を見上げると最高。星が異様にきれいなんです!星の光で本が読めそう。 オーナーの鼻毛オヤジに南十字星や静止衛星、スペースシャトルの探し方等を教えてもらった。人工衛星系は明るくてしかも早く動くから一発でどれか分かる。 また、オーストラリアは都市部を除き、どこも静かで、音がない。耳鳴り必至。

 その次の所のキャラバンパークでスウェーデン人だったか家族連れがいたのだが、「Are you Japanese!?」と凄く喜んだ顔で女の子が話しかけてきた。 話をしてみるとお母さんが日本人で日本にいるらしい。この家族には楽しいひとときの他に飯までごちそうになった。その節は、どうもありがとうございました。

 言わずとしれた・・・ 目的地エアーズロック方面に向かう分岐点に着く。この辺はオーストラリアで一番ハエが多いと言われている。 分岐した後しばらく走ると左側にボコッと山がある。「あれがエアーズロックか」やけに早く着いたなぁと思ったら、それは違う山だった。地図で見た所、その山はマウントエヴェネザーという名前で 個人的には好きだ。カッコいい形してました。ちなみに上の写真の山がそうなんだけど、エアーズロックとは全然形が違うのに間違えるなぁ!カナ君、ハズカシーデス・・・

  さらに、エアーズロック方面に走って行くと向こうからどこかで見たことのあるバイクが! なんと、ここで先の大阪のオフロードライダーさんと会うのです。 いつも以上に手を大きく振りアピール。でお互い分かったので急ブレーキかけて止まり再会した。 ハエを手で払いながら「いやぁ、そろそろ会うと思ってたょ」と彼の方から言ってきて路肩で話は始まる。彼の言う通りで、確かに道は一本しかないから 非常に高い確率で出会える訳ですが、実際この様な感じで会ってみると偶然という感じがして結構おもしろいものです。

 久しぶりにまともな会話が出来たので嬉しかったし、普通 このような状況であれば1時間とかずーっと話をしてみたいのですが、何分この地。ハエは滅茶苦茶多いしおまけに超暑い。更に僕としては 早くエアーズロックを見たいという気持ちがあったせいか、自然と10分位話したらサラッとお互いサヨナラをしてまたそれぞれの道に向かって出発。 あのライダーさん、もしもこのページを見ていたら、是非連絡ください!お待ちしてます!! そうして、バイクでの走行距離としては自己最長記録とも言える物凄い距離を経て、漸くエアーズロックに到着。流石に、今までの岩山とは違う。めっちゃカッコいい! 何週も回ってしまう。エアーズロック頂上  後ろに見えるのは mt.オルガ

自分は行かなかったけどキングスキャニオンというのが近くにあり、行った人皆が良いといっていた。中には、 世界で一番良かったと言う人までいた。でもそこはガソリンスタンドも途中に無く道が舗装もされていないんでツアー以外の人は準備と覚悟が必要。 オーストラリア大陸周遊はアシ(車や単車)が有ると無いとでは旅の印象がかなり変わると思う。 ちょっときっついけどバイクで周るのっていいよー!勿論、車も車で良い所がある。例えば、キャラバンパークでテント無しで寝れたり、ヒッチハイクを載せて楽しく会話 をしながら・・・相手がもしも日本人ではなく外人であれば英語の勉強もできたりするしね。(注:やたらに乗せると危険!ヒッチハイクを装って、強姦やら殺人目的でウロウロしている輩も 多いので気をつけること。殺された後に、ちょっと奥へ入って放置されても、だーれも気付かないからね。交番は勿論のこと、物理的に警察なんか周りに居ないし。 因みに、俺は一周中に一度もパトカーを見なかった。覆面パトカーなんだろうか、というかそう思いたい。 ああ、あとね、男性だからといって安心してはいけません。オーストラリアはゲイの方が多いから、まぁその後は言わなくても分かると思うけど。) それから、バイクで周る人も車の人も、日光には十分気を付けること!皮膚ガンでマジで死んじゃうよ!! 必ず長袖、または日焼け止めを塗り捲ること。

めでたく足が用意できた方、おめでとうございます。最高のオーストラリア旅行を 楽しんでください。毎晩、キャラバンパークをかなり使うことになるでしょう。というか、内陸では唯一の宿泊施設と言えるで しょう。キャラバンパークはA$3位がほとんどで(1992年現在)施設にはテントを張る場所と安全、それからシャワーを確保できる。 中には動物園付きという所もあった。テントといえば、夜中カンガルーが間違えて飛び込んでくる話を偶に聞く。 (車や単車に突っ込むというのは、しょっちゅう。バイクの場合、これが危険。何しろ、100km/hオーバーで巡航時に 突っ込まれる人も居るわけで・・・これにより死ぬ人もいる。光に近寄る習性が有るらしく、夜の走行は特に注意!)

 エアーズロックで、わたくしは「何とかなるや・・」と、オーストラリア一周を決意する。ちょっと贅沢な苦労が続くのでありました。

 一周をするため北に向かう。エアーズロックをあとにすると、次はアリススプリングスだ。大陸のど真ん中なのに、ここでは何故かヤシの木が生えている。 この辺って、昔は海だったんですねぇ。山の形が「大昔この辺は、海中にありました」って感じなので当時を想像できるから、海底を走っている様でオモシロイもの。

 このアリススプリングスを出発し、北上を続ける。700キロメートルぐらい行った所に公園みたいな休憩所がある。 ここにはナント日本人ライダーによるベンチなどに全て日本語による落書きしてある場所がある。”1973年”とかいうのもあったなぁ。 悪いことなんだけど、つい楽しく参加してしまう。普通は英語でワールドワイドに書き込みがあるのだが、何故かここは日本語だけ。 やはり、この辺の公園を利用するなんてのは日本人ぐらいなのだろうか。それとも日本人を呼ぶ何かがここに・・・(んなわけねーだろ)こちらの方角へ陸路で進む人はよっぽど好きな人しかいないでしょうからねぇ。

 近くにある“デビルマーブル”は、つまんなかった・・・。これ、だから、何?みたいな感じ。エアーズロックに行く 前に行くなら良いかも。(場所的に、普通ここへ来るのはエアーズロックの後だろうねぇ。)そういえば、この辺は道路に突然湖が現れる。何のことだ?と思う人が殆どだと思いますが 雨季に現れる現象で、大地に起伏が無いため雨が降ると大きな池ができる。(それも、半端なくデカイのが出来たりする。)そんな時は、道は一つしかありませんから立ち往生するしかないのです。 場合によっては、数日消えないこともあるらしい。

 ダーウィンは、行った人からいい噂を聞かなかったんで行かずに西オーストラリアへ。 反日家が多いらしい。昔、日本軍が爆撃したことを未だ根に持っている人がいるとか。(1992年現在)日本人で、行ったら投石されたという人と実際にシドニーで 会ったんですよ。生々しくその話を聞いて、ダーウィンは素通りに決定。

  ここから急に人気が無くなる、まあ元から交通量は少ないのだが、この辺からは極端に減る。 ある朝、いつものようにキャラバンパークを出て単車を走らせると、脇からカンガルーが飛び出してきた。しかし俺の前方を びっくりしたせいか、こけてしまったらしく、視界に入ったときは既にこけていて「ザー!」っと、スライドしながらそのまま目の前で道路を横断していった・・・ キャラクター的に似合ってた。 その頃、娯楽は何も無かったんで「未知の生物か?足や手を使わずに胴体で走るなんて・・・(笑」と、すごい面白かったなぁ。

 その先、ブルームに寄った。印象としてはビーチが鬼のように綺麗で、日本人墓地が有る面白いところだ。ここでかなくんは、勇敢にも日焼け止めを付けずに浜で全身を (ほんとに全身)焼き、その後痛くて2日程テントから動けなくなった。って大げさと思うかも知れないけど、暑い中テントの中で飯もうまく食べれずに、 ずうっと寝転がるしかなかった。きっと火事にあって全身大火傷になるとこういう感じになるんだろうなぁと思った。どんな動作でも動くと痛かったので マジ死ぬかと思った。オーストラリアの紫外線は普通ではない、流石オゾンホール直下 ということを身体で覚える。直射日光への対策をしないのは 自殺行為なので絶対に日焼け止め等使用し気を付けてください!オーストラリアでは、出来れば移動中だけではなく普通の生活時も付けた方が良いと思う。 ブルーム

 火傷の痛みも和らぎ、未だ少々痛いが出発することにした。ブルームを出て更に西へ。何故か一つの観光目的地としていた工業地帯のポートオーガスタへ向かう。 その途中で幻想的な光景に出会う。まだ明るいがもう直ぐ夕方になる頃だった。頭上は快晴、真っ青な空。しかし、一本しかない一直線の道の前方上空では雲が低空を覆っている。 走行していくうちに、段々と雲は少しずつ大きくなっていく。雲がある前方の空は茶色で雷が時々光るのが見える。いつもの直進道路では無く起伏に富んだ土地で緩やかだがコーナーが続く。 遠方ではスコールが起きているようだ。雨が降っているのが見えるし、また雨の匂いを感じるが幸い前方の空では降っていないようだ。走行していくうちに、ついに 雲の下に。雲が頭上を覆い尽くすと、空の色が暗い赤色になってきた。急にカラっとしたあつーい空気から涼しい湿った空気になる。未だ雨は降ってこない。そういえばこの曇って雷が光っていたなぁ・・そんな中、周りで地上高が一番高い所で誘電性が 有るのは俺の単車、俺のヘルメット、すなわち俺だった!危ないね・・・。ちょっと怖いそんなシチュエーションやこの幻想的な風景を見る事によって、やばい薬による妄想感を得たような気分になる。 あの感触、忘れられないなぁ。そんな空間を30分位走行し続けた。後半、奇麗というより雷が怖くなり早く単車から降りたかった。

 ブルームを出て数日後、ポートオーガスタに到着。すっごい個人的なんだけど、ゴーストバスターズのテーマソングが似合う町だ(?)

 ポートオーガスタは工場地帯で貿易港だった。観光地として見るところは何にもなかった・・・ とにかく暑い!!   

 この辺から進行方向の方角は南下となる。

 コーラルベイ等、ピナクルスへ行ったりしながらパースへ南下する事にする。 コーラルベイでは、ピンクの湖(この辺では一杯ある)や、野性のイルカをみたり(触れる。)大迫力の海水噴き出し口を訪れたりした。 この辺西部は、特にアシはあった方が良い。ある夜、キャラバンパークでオージー野郎2人組に「一緒にどう?」と、飯に誘われた。 見ていると、設置してある鉄板を拭かずにそのままステーキを焼き始めた。鉄板には蚊等の虫が死んで沢山付着しているのに!! ここでオージー曰く「だから味が出て美味いんだよ」そうな。まぁ、郷に入りては何とやら、か、と、食べてみたら確かに塩味が効いて美味い。 ご馳走様でしたっ。その晩は風がいつものように強かった。よく起きるときに寝ている間にテントが倒れる事があったが、翌朝は、やっぱりテントが 布団になってました。私がテントから出てくるところを見たらしく、オージー達は申し訳なさそうに後ろ向いて笑ってた。恥かしかった!! で、この後、とある町で出発しようとした時、スターターが廻らない。バイクのバッテリーが上がったらしい!押し掛けで何とか走れるが、重いんだ、この単車。 郊外でなく町中でなったから命拾いした。偶々困った顔をして立っていた俺の前を通った、おじさんがどうした?と尋ねてきてくれた。その方は 無償で車に乗せてくれて、ほうぼへバッテリーケーブルが無いかと一緒に聞き周ってくれた。このおじさんに感謝の意。本当に助かりました。 おじさま、有り難うございました。結局、ケーブルが手に入ったが、どうやらバッテリーは充電出来ない状態になっている。 おじさんの話では、この町にはオートバイ屋は無い、が、ちょっと先にちょっとでかい町があり、そこにあるらしい。 エンジンをかけれても止められない状態で大至急向かう。おじさまの御話通りで、バイク屋があった。オイルも序に交換。 ホっとする。ラジオが入ったので聴く。いつも同じテープばっかり聴いていたから嬉しかった。久しぶりの町らしき町だったことも あり、いつもより多めに休憩。単車の上に寝転がって、ラジオを聴きながら町並みをボケ−っとする。さて、気を引き締め再出発。 この辺りから、パースへ向かう道が山側と海側の二つに別れる。ピナクルズという奇岩群が海側にあるので、海側を選ぶ。 オ−ルドホテル

 南へ下って行きピナクルスへ到着。ここはお勧めスポット。個人的オーストランキングで4位ぐらいかな。 ここへ向かう道は多く、迷いやすい。行き方間違えると4WD以外通行禁止という道とかもあるので気をつけてね。(1992年現在)ここの奇岩は抜群におしゃれ。 人によっては1日中見てても飽きないと思う。

ピナクルズの周りで他にもいろいろと見るところがある。その小さいスポット的なところへちょこちょこ寄った後パースへ向かう。

 パースへ到着。今までの町に比べると比較にならない程 でかい町だ。この時まで見たオーストラリアの町の中では、ここがシドニーの次にでかい。ユースホステルがあるので、久しぶりにベッドで横になる。 毎日大地の上で寝ているもので、このフカフカさは快適そのもの。久しぶりに疲れを癒す。爆睡しまくりでした。 この町は滞在にはとってもナイス。暇になれば最新のゲームセンターもあるし、スワン湖という文字通りにスワンが多い湖があり そこに行ってスワンに餌を上げたりできる。湖の周りにパン屋があり、パンのみみとか言えばただでくれるからそちらで取得し 、それをスワンに与えるのだ。因みに、ここのスワン、黒いんです。ブラックスワンといいます。ここパースはとにかく暇潰しプレースが いっぱい有る。長居したいところだが、だんだん金が無くなってきたので余りゆっくり出来なくなってきた。

  パースにしばらく居て次はエスペランザへ向かう。パースの周りには結構見所がある。オーストラリアの名所は似たような物が多いので つまらなそうなところはパスする。途中、ハイデンと言うところが有り、ここにウェーブロックという物があり、非常に良かった。 個人的に、ここはオーストランキング第5位ぐらいにエントリーしている。超高波が押し寄せてきて、そのまま瞬時に固まったという感じの 巨大な一枚岩の山です。夕方からこの波に寄り掛かりながら空を見ていた。岩肌は暗くなってきても温かい。夜で暗くなるまで見てたけど、 夕方から夜にかけ変わっていく岩やその周りの木々の色彩が最高だった。夜になると今度は流れ星がギラギラ。頻繁に流れてくるので、数が物凄い。 何個夢がかなうのだろうかといらない心配をしてしまう程。次の日、起きてから去り際序に、このハイデン公園(?)内にある名所と思われる看板が 前に立った山を見た。客も住民も、だーれも見当たらない無人の山で、その頂上まで行ったとき催したので、見渡す限り本当誰もいないから野グソを決行。 すっきりして拭いたあとティッシュを前へ捨てると、そのティッシュが上昇気流に乗って、無礼にも俺の顔目掛けて戻ってきた。 なんとか避け、かすった程度で避けられた。下山して、ハイデンに別れを告げ、いざエスペランザへ向かう。 エスペランザに到着。ユースがあったので迷わずチェックイン。メガネをかけた面白い日本人がいた。凄いフレンドリーな奴でこのユースで 沢山友達を作っていた。この向こうは南極よ!

 エスペランザ、南にある魅力的なきれいな海を見て、いよいよアデレードへ向け単車で周遊する人に対して最高難関と言われているナラボー平原に入る。 (木が無い状態ノーボーがオースト訛ってナラボーになったそうだ。)風景はもろ砂漠だった。ナラボー平原の入り口に巨大コアラ君の像がある。(1992年現在) そこに、シドニーまでウン千キロメートルとかいう訳の分からない看板があった。この辺がオーストラリアの中でも一番暑いと聞いていたんで、この頃は時期が 夏だったから覚悟していたのだが、何故か涼しい。住民に聞いたら異常気象によるものらしくて実はアデレードに着くまでずっと涼しかった、と言うより 防寒具を1つも用意していなかったので寒かった!!この年の異常気象、真夏に入る寸前の12月になんと雪が降ったらしい。日本で例えれば5月に雪が降るという感じ。 2月の真夏時期に行ったんだけど・・・ 鼻水がじゅるじゅる、止まらない。何度も多いけどこれもまた死にそうだった。どう言う感じか文で表現すると 日本で秋ぐらいにシャツ3枚だけを重ね着して単車を止めないで2時間位ずっと乗ってみれば、その時の感じが掴めると思う。ナラボーに突入してから しばらく進み、寒いのでホームメイドスープを飲むためブルブル震えながら町(スタンドしかないが)に止まる。その辺りで昔UFOに車ごとつれていかれそうになった人がいたらしく、 ニュースの切り抜きなどがそのスタンドには貼ってあった。ま、確かにUFOが出てきそうな所だけど。その先のスタンドでは柔道着を着て単車でオーストラリアを縦断中の方と接触。 新潟に在住だそうで、日本に帰ったら親の仕事を継ぐらしく、最後の長期休暇を楽しみに来たのだとか。今頃は立派な商人になっていらっしゃるんでしょうか。柔道着は珍しいらしく 現地の子供達に引っ張られてて、なんだかモテモテでした。しかし、柔道着で周るのは良いアイディアかも。

 コーラルベイ以来、また300キロ位毎にしか町(といっても町とは名ばかりで、人口2,3人でガソリンスタンドしかない)が無くなってきた。 休憩ついでに寄ってスタンドバーにいたオージーと話した。お子さまのかなくんはジンジャービアー。「Oh,Here comes Kamikaze!」とか言うんで 外を見ると死にそうな顔で日本人チャリダーが一生懸命に自転車をこいでいる。オーストラリアを走っていると、結構こういう人を見かける。 この人は異常気象ラッキーだったよね。こういう自転車で周るとか変態に近い系は、日本人とドイツ人ばかりだそうな。俺は、こういうの好きですが。 体力があれば是非挑戦してみたいところ。過去には日本人で、オーストラリアをスーパーにあるカートを使って、勢いをつけながら乗って走ったり 単体で押したりして大陸横断をした人もいたらしい。ちなみに俺がオーストラリアで見たチャリダー達は体格といい顔といい、全員日本人だった。 一生懸命こいでいるのに止めちゃ悪いなと思って、いつも話せなかった。恐らく彼らこそが、一番「オーストラリアとはどういうところなのか?」 を理解していると思う。皆、手を振ると笑顔で挨拶を返してくれるんだよね。いくら平地とは言え、この環境では・・。辛いんだろうなぁ。 余談ですが、オーストラリアを自転車で周るのは、かなり金が掛かるらしい。 ここナラボー平原を走る単車乗りは、パウダースノーに注意。粒子がかなり細かいのでガスを入れるとき等にタンクに入っる事がある。 そうなると、日陰無し・炎天下43°cの直射日光下でフロートチャンバーをバラして清掃しなければならない事になるかも。念を入れる人は、ガスタンク給油口にフィルターを 付けるのが売ってるので出発時にどうぞ。

 上に同じ ナラボー平原の砂漠上にOLD HOTELがあちこちにある。昔はこの辺からオーストラリアへ上陸したのだが、その開拓した人達が長い航海を終え まずは休む為に利用したホテルの残骸。昔は南から上陸したんですねぇ。今はそのルートでいらっしゃるお客様は年間0人の様です。 今は完全に廃虚になっている。レンガがあって型は残っているし、砂漠の上にポツンポツンとあるので面白い。古の時代に思いを馳せたい人は御奨めの場所。 それ以外はただ通過するだけになっちゃうでしょうね、ここナラボー平原は。(1992年現在)

 連日、鼻水をジュルジュル出しながら未だか未だかと只管東へ向け移動をして、漸く寒いナラボーを抜ける。 海岸線から外れると暖かくなってきた。その暖かい が直ぐに暑いに変わりまた前のオーストラリアっぽい環境に戻る。装備がなかったから、寒いより暑い方がまだいいかな。 そうしてアデレードに到着。アデレードもまぁまぁでかい。(行きでも寄ったが、帰りまた来るからと飛ばした。)ここのカジノが曲者で、ハマった。 何しろカジノは生まれて初めて。大人になったばかりだったこともあり、カジノという響きは堪らなく魅力的。残り全財産がA$500しかないのに カジノへ行ってしまう。初日は合計でA$100勝った。何気に次の日に行くと合計でA$300負けた。もう、お先真っ暗。金無くなったらどうしよう。 総額A$200ドルを失い、このまま行っても足りなくなる。よし、賭けよう。と、また冷静さを失い次の日も行く。ブラックジャックでノマれたので、次にルーレットをやると 残金A$100まで失墜。もういいや、と入口にある大小みたいなルーレット、あの昔10円でよく駄菓子屋にあったくるくる回るルーレットと同じ原理で、どの目でルーレットが 止まるかを当てる物。ディーラーが手でまわす。このゲームでタイミングを計り確率の高い‘1’を狙うことにした。ちょうど同じように、もっと深刻な意味で せっぱのつまってそうなオージーのオヤジもいて一緒に今まで出た目の統計を調べた。連続して同じのはそんなに来ないだろうという安易な予想に基づいてかける。 結果は信じられないと思うけど残額A$600まで復活できた!(親父も、俺とは額が違ったけど、全ての賭けが俺と同じタイミングだったんで勝ってた。) ここで止める。よしっ!!去り際、ルーレットを回してるディーラーのオヤジが「い、行くな!もっとやれコノヤロォー」と言いそうな目で俺をジーと見た。ホーッホッホッホォー。 (ここで調子にのってしまって後々ラスべガスで20万円も使う事になる。)

 ちょっぴりだけリッチな気分でアデレードを出発。帰りは南回りでシドニーへ向かう。フィリップアイランドでペンギンのパレードを見る。 俺が行ったとき中国系の人がいっぱい見に来てた。オージー達は、こいつらを日本人と思っているんだろうなぁ。そういえば、ここのユースは オーストラリアにあるユースホステルの中で一番のお気に入り。ベッドの質といい、オーナーの性格といい、総合評価はかなり良い。

キャンベラ国会議事堂  ここからタスマニアへ南下できる。先のカジノで少し勝ったとは言え、タスマニアへ行く程は予算がない。残念ながら 南下は諦め、次に首都キャンベラへ向かう。途中、ミミズ博物館なる建物がまさにミミズそのままという異様な形をした博物館があり、そこに寄る。 ツアーバスが沢山乗り付けていて客も多い。オーストラリアでは、あらゆるアミューズメントパークでミニ動物園がついている場合が多いが、ここにもあった。 カンガルーも放し飼い。かっわいい!カンガルーはオーストラリアで害虫の部類に入るそうな。俺大好きなんだよね、カンガルーって。憎めない顔しているし頭悪いところとか 俺との共通点が多いし、最高!このミミズ博物館、本来の鑑賞目的は当然だがミミズ。気持ち悪くなっちゃった。そういえば資料とかを観ている内に気付いたが 日本に家畜用の餌としてだけでは済まないぐらい大量に輸出しているみたいなんだけど・・・ これって、どこで使ってるのかねぇ… そんな感じで、途中ちょこちょこ寄りながらキャンベラに着く。キャンベラの第一印象は、今までの町とは大きく違う。非常に落ち着いている。 観光目的としては魅力は薄い。見るところは格好いいデザインの国会議事堂位かな。ここのユースで、夜に広い部屋でビデオを放映していたが 俺も映画を見ようと思い行ったらその時はブラックレインをやっていた。見ているのは面白いように全員白人だった。字幕が一切無しで、 同室だったちょっと仲良くなっていたノルウェイ人バイキング野郎に日本語の部分の所を英語で教えてやった。(この頃には大分英語が話せるようになっていた。) 映画が終わってから皆の感想が聞こえてきたが、それはブーイングばっかりだった。(まぁ、無理も無い。せめて日本語部分を字幕が付いてれば感想も違ったと思う。)

キャンベラを後にして漸くシドニーへ到着。オーストラリア一周も終わりです。嬉しいような寂しいような よく分からない心境だった。というのも贅沢なことに自分としては当初は一周したくてしたのでは無く“何にも出来ないこの俺にも普通の人が出来ないような事が出来るのか”  的な挑戦って感じが強かった。

 


シドニーをたっぷり満喫し、 数週間後日本へ帰る。金はシンガポールでの滞在費も準備しなければならなかったこともあり、ギリギリだった。出発する飛行機に搭乗し、横に座ったイギリス人カップルと話した。 この時実感した、『フレンドリーっていいなー!』。帰りの飛行機 窓側に座れた。(慣れて来ると窓側等絶対に嫌だと思うものですが、この頃は飛行機に乗る事が指で数えられる程度でしたからね。) 機内に乗り込むまではそんなに感じていなかったんだけど、いざドアが閉まってアナウンスが始まり機体が滑走路へ動きはじめると、段々切ない気分になって来た。 頭の中で、カーペンターズの'Close to you'のメロディーが流れてきて、カンガルー達が「じゃあね〜。」と笑いながら言っている様な感じを想像してしまい、この旅は辛かった事も多かったけど 楽しい事もまた凄く多かったから思い出がそれだけに濃かったし、ちょうどオーストラリアという土地に愛着も湧いた頃だったので、つい滑走路から加速を始めると、去るのが悲しくて涙が出てきて止まらなくなってしまった。 イギリス人達はそれに気が付いたのかここは話し掛けないで一人にしてやるかと言う感じで気を使ってくれたのが良く分かった。声を殺して一応彼らに見られないように窓の方を見ながら泣いてしまった。我慢しても止まらない 止まらない。初めて長期滞在すると皆こうなるのかな?まだ20歳にも満たない程若かったし、女々しいなんて言わないでね!で、機体が巡航に入り、その頃にはケロリと。 上空で久々に日本の音楽を聴く。ドリカムのサンキューって曲を聴いてあー日本ひっさしぶりっとか思いましたね。

 

マーライオン  3mしかない・・・

そうして、シンガポールに到着。で、日本へ帰る前に寄り道をする。

       最高につまらなかった。

                 物価は高いし。  

 

 この旅を終え、帰国してから分かったことがある。 それは、もっと視野を広くして、自分の考えばかり尊重せずに、出会った旅人から良い観光スポ ットがあるよと推薦された所はなるべく行った方が良いという事、それから旅行中は生活以外の部 分で金をケチらない方が良い事かな。『良い』と言われた所は本当に良い所が多かったりする。 その勧められた所へ行かないで、後々そこへ行きたくなったりすると相当悔しい物です。このオー ストラリアの旅では、エアーズロック近くにあるキングスキャニオンが挙げられる。次にオース トラリアに行くとしてもその際にアシがあるかわからないので、行けるかどうか分からない。実 際に目の前迄行ったんだし、あの時皆さんの話を受け入れて行っていればなぁ・・・。その時は 自分の持っていたガイドブックにキングスキャニオンについて良い事が書いていなかった点、それ から面倒臭かったため、結果行かなかったのですが、その後のオーストラリア旅行でも良い噂を 聞き、日本に帰ったら今度はキングスキャニオンは秘境の地みたいないろんな情報が入ってくる。 行かなかった事を物凄く後悔しています。畜生、書いてたら思い出しちゃった!それから、ケチ らないという事に関してですが、いくら貧乏旅行と言ったって、例え値段が高くても、その瞬間 ・そこでしか出来ない事もあるわけで価値としてみれば物理的に高い値段でも日本に帰ってから だと物凄くリーズナブルな値段として見る事が出来ます。旅先でこれ面白そうと思ったことも同 様で可能な限りドンドン金を使っても良いと思う。結局、後で後悔する事になるケースが多いと 思います。序ですが、日本人の常識が世界では非常識になるケースを身を持って体験してきまし たが、その中でも海外旅行をしようと思う日本人ならちょっと改善しないと駄目だなと思った点 がある。それは、何かをしてあげたら金を上げると言うのは日本以外の世界中でほぼ常識となっ ています。所謂、チップです。その辺を理解して行動しないと自分も相手も嫌な思いをします。 チップをケチってはいけません。チップは、海外では非常に強い心の表現なんです。汚くも何と も無い。当然のことです。チップをもらうのか?やましい!誰がやるか!少ない方がいい!と 思う方、改善の余地ありです。それは、日本だけにしておきましょう。俺の場合、このオース トラリア旅行の後に行った世界一周旅行をした時にこのチップを 渡すマナーを軽視し過ぎた時 があり、時には店を出て、店員に後から追っかけられたこともある。私は、今まで行ったこの点 を反省しています。それに、それぞれの国の国民の評価は、たった一人のイメージで決められて しまう場合が有る。例えばこんなチップの事ぐらいで、日本国民全員の評価決まってしまうと言 う可能性が無きにしもあらずです。海外に出たらあなたは日本代表。他の日本人の為にも、それ ぞれの国々で決められているマナーをお互いに 守りましょうね!

 

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